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ビザンツ帝国


概要

ローマ帝国の分裂してできた二つの帝国の一つ、東ローマ帝国のお話です。

ビザンツと呼ばれたこの帝国は、様々な脅威にあうものの15世紀にオスマン帝国に滅ぼされるまで続く、長命な国でした。

まとめ→中世ヨーロッパ

時代

395年〜1453年

場所

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詳細

政治

西ローマ帝国と分裂した東ローマ帝国はビザンツ帝国と呼ばれ、コンスタンティノープル を首都とし、貿易などで栄えました。

6世紀のユスティニアヌス大帝の時にはゲルマン人国家を征服するなどしますが、戦争により国力は低下し、フランク王国やアラブ人による侵攻やブルガール人によるブルガリア帝国の建国などで領土は縮小します。

この頃には帝国をいくつかの軍管区にわけ、その司令官に軍事と行政の両方の権限を与える軍管区制(テマ制)がとられていました。

国内ではコンスタンティノープル教会を中心とするギリシア正教が主に信仰され、初期の教理である偶像崇拝の禁止の徹底のため、726年に皇帝レオン3世聖像禁止令を発布します。

そのことで、ローマ教会との対立が深まります。

十字軍によるラテン帝国の建国などで国内は混乱し、1453年にオスマン帝国に滅ぼされます。

文化

ギリシアの古典文化とギリシア正教が融合しているのがビザンツ帝国の文化の特徴です。

ギリシア語を公用語としたこの帝国では神学が学問の中心でした。

美術でも、『ローマ法大全』の編纂と並びユスティニアヌス大帝主導の国家事業として建立されたハギア=ソフィア大聖堂は、モザイク画ドーム型天井などを特徴とするビザンツ様式の建物として有名です。

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聖母子像を描いたイコン美術も特徴的な美術です。

このイコンは「イメージ」のギリシャ語訳であり、偶像には当たらないとされました。

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関連単語

コンスタンティノープル / 聖像禁止令 / ユスティニアヌス帝

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