近代日本
概要
江戸時代に開国してから太平洋戦争に敗北するまでの、近代の日本についてです。
明治維新で一気に近代化を進めると勢力を拡大、一次大戦まで快進撃を続けますが、共産に対抗したファシズム体制を取ると二次大戦では大敗を喫しました。
時代
1854年〜1945年
場所
詳細
鎖国中であった江戸時代の日本は1954年、アメリカのペリーの来航をきっかけに開国します。
58年の日米修好通商条約により不平等な諸規則が定められ、これを機に倒幕運動が起き、明治政府が成立します(明治維新)。
日本は近代改革を推し進めたことで、強国へと発展しました。
ロシアとの樺太・千島交換条約の締結や、台湾出兵や琉球処分、日朝修好条規の締結など、積極的に海外進出を進めたことで、清と対立関係になります。
朝鮮への影響力をめぐり甲午農民戦争(東学の乱)をきっかけに日清戦争を戦うと、勝利し下関条約でさまざまな権利を得、列強諸国から警戒され始めます。
その一つの動きとして、日清戦争で得た遼東半島を返還させられるロシア中心の三国干渉が挙げられます。
一方イギリス、アメリカなどはロシアの勢力拡大を警戒したため、 日英同盟 を結び日本のロシア食い止めを支援する姿勢を取ります。
両国の支援を背景に1904年に開戦した日露戦争でしたが、長期戦に双方とも耐えきれずポーツマス条約が結ばれます。
そして日露協約、英露協商が結ばれます。
まもなく一次大戦が勃発すると、日本はそれらの条約を理由に連合国側につき、武器輸出などで利益をあげます。
中国や朝鮮への支配に対しては抗日運動が繰り広げられました。
1931年、日本軍は柳条湖事件を起こし口実を作って東北地方を占領(満州事変)、溥儀(宣統帝)を皇帝とする満州国を建国します。
これの不当性調査のためリットン調査団が派遣され、不当性が支持されると国際連盟を脱退します。
次第に軍事行動はエスカレートし、日中戦争へと突入しました。
中国が共産に傾いていたことから日本はファシズム国であるドイツ・イタリアと結び(三国防共協定)、ベルリン=ローマ枢軸に参入、三国枢軸を結成します。
1940年代には三国は日独伊三国協定を結び、北方の安全確保の観点から日ソ中立条約もむすびます。
反ファシズムの姿勢を明らかにしたアメリカに対し、真珠湾の基地を奇襲したことにより太平洋戦争が勃発、「大東亜共栄圏」を唱え東南アジアを侵略します。
しかしミッドウェー海戦で敗北してからは主導権を失い、45年の原子爆弾投下が決め手となり、同年8月15日にポツダム宣言を受諾、降伏したことで一連の戦争は終わりを迎え、[アメリカの支配下におかれます。