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ビスマルク体制


概要

ドイツ統一後、ビスマルクが国内を守るため作り上げた国際体制、ビスマルク体制についてです。

フランスを包囲するため、複雑に同盟網を作り上げます。

まとめ→近代ヨーロッパドイツ

時代

1873年〜1890年

場所

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詳細

プロイセンの首相であったビスマルクは、普仏戦争以来対立関係にあるフランスを孤立させることで、ドイツの安全をはかろうとしました。

この外交政策によって作られた国際秩序をビスマルク体制と呼びます。

具体的には、ドイツ・ロシア・オーストリアで三帝同盟を結びました。

また露土戦争後の利害調整に介入してベルリン会議を開きベルリン条約を結ばせ、ドイツの国際的な発言力を強めました。

そしてドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟を結びました。

またロシアのパン・スラヴ主義がオーストリアとの対立を生み三帝同盟が消滅すると、ドイツ・ロシア間に再保障条約を結び、フランスを包囲する体制を維持しようとしました。

しかし、ヴィルヘルム2世が即位し彼を罷免したことでこの体制は崩れ、同盟国側として第一次世界大戦を迎えることとなります。

補足

「フランスを孤立させる」というのがビスマルク外交の要点ですが、ビスマルクが特に重視していたのが、ロシアとの関係でした。

その理由は、三国の位置関係にあります。

フランスはドイツの西側、そしてロシアは東側にあります。

つまり、フランスとロシア、両国に手を組まれて挟み撃ちされるのを恐れていたのです。

ベルリン会議についてはロシアに不利益なことをしているように見えますが、あくまで「公正な仲介人」の立場であることを主張し、ロシア・イギリス・オーストリアどの国にも不利益のないよう、そして不満の生まれないよう「調整」したのです。

この後に起こる二度の世界大戦では両国に手を組まれ、挟み撃ちされたことにより敗北を喫したことからも、ビスマルクの賢明さが窺えます。

関連単語

普仏戦争

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