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ドイツまとめ


概要

ドイツの歴史です。

東フランク王国、神聖ローマ帝国から始まり、大空位時代を機に諸侯が乱立、金印勅書などで諸侯の権力が増すとウェストファリア条約で諸侯が主権を得て帝国は実質崩壊、プロイセンとオーストリアが力を持ちます。

オーストリア王が皇帝を兼任していたものの近代化がうまくいかずフランスに敗れたことで帝国は実際に崩壊します。

両国はドイツ統一を巡り対立しますが、プロイセンによりドイツは統一されオーストリアは分離します。

ビスマルクが国際秩序を保ちますが退位するとバランスは崩れ大戦に突入、冷戦下では東西ドイツに分裂しますが緩和と同時に統一が達成されます。

まとめ図

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詳細

東フランク王国(神聖ローマ帝国)

ウェストファリア条約以前

ゲルマン人のたてたフランク王国が5世紀に分割されて生まれた東フランク王国がドイツのもととなります。

10世紀にフランク王国からの血筋が絶え、選挙で王が選ばれるようになります。

その中の一人、オットー1世がローマ皇帝の位を与えられた(当時他の国は教皇から位を与えられたわけではない「王」でした)ことで、教会お墨付きの国であるという意味の神聖ローマ帝国と国名を変えました。

11世紀に叙任権闘争が勃発するとハインリヒ4世はカノッサの屈辱などで権威を低下させます。

また、皇帝は歴代、ローマのあるイタリア半島へ進出(=イタリア政策)、13世紀に血統が途絶えると、皇帝が事実上いない「大空位時代」となります。

14世紀にカール4世は金印勅書を発布、七選帝侯(各地を支配していた諸侯のうちの7人)に皇帝選出権を認めます

また同時期には西側への植民(東方植民)も行われました。

16世紀に宗教改革がカトリック教会でおこると帝国内は混乱し、カール5世はアウクスブルクの和議により、地方ごとに首長である諸侯が新教・旧教を選べることとします。

1648年、ウェストファリア条約により諸侯の主権が認められたことで、各地方は国のような振る舞いができるようになり、帝国は実質的に崩壊しました。

そしてその諸侯国の二つ、プロイセンとオーストリアが台頭します。

ウェストファリア条約以後

18世紀になるとプロイセンのフリードリヒ=ヴィルヘルム1世は絶対王政の基礎を築き、フリードリヒ2世が啓蒙専制君主として近代化を進めます。

オーストリア継承戦争、七年戦争では勝利し、オーストリアと争っていたシュレジェン地方を得ます。

一方オーストリアは代々ハプスブルク家が王をつとめており、神聖ローマ帝国の皇帝位も得ていました。

イタリア戦争を機にフランスと対立していましたが、マリア=テレジアはプロイセンとの争いのため18世紀に七年戦争にてフランスと結び「外交革命」を起こしますが敗北します。

その後、ヨーゼフ2世が啓蒙専制君主として近代化に努めますが貴族の反対を受けて多くは挫折します。

そしてナポレオンに三帝会戦で敗れるとフランツ2世は神聖ローマ皇帝を退位、19世紀初めに帝国は消滅します。

【関連辞書】

統一

オーストリアのメッテルニヒが主導したウィーン会議により、プロイセン・オーストリアを含むドイツ連邦が組織され、ドイツを統一国家としようとする動きが始まります。

この統一国家形成の動きには、オーストリアを含む「大ドイツ主義」と含まない「小ドイツ主義」の二派が対立しており、前者はオーストリアが、後者はプロイセンが主に標榜していました。

まず初めに、「小ドイツ主義」の範囲での経済的統一、ドイツ関税同盟が成立します。

48年に二月革命の影響でオーストリアでウィーン蜂起が起きメッテルニヒが失脚し、ウィーン体制が崩壊します。

プロイセンでは統一国家達成のためのフランクフルト国民議会が開かれ、首相となったビスマルクは軍備拡張を積極的に行いました。

普墺戦争で両国が直接対決するとプロイセンが勝利し、「小ドイツ主義」を実現した北ドイツ連邦が成立します。

プロイセンが普仏戦争で勝利すると、プロイセン王のヴィルヘルム1世は「ドイツ皇帝」を名乗りドイツ帝国として統一、オーストリアとは別の国となります。

【関連辞書】

ドイツ

ビスマルクは宰相となり、国内では「文化闘争」やカトリック教徒抑圧、社会主義者鎮圧法の制定などで厳しく統制した一方で社会保険制度を整えるなどします。

国外ではフランスを孤立させるため三帝同盟・三国同盟・再保障条約などの同盟網を作り上げます。

ビスマルク引退後に実権を握ったヴィルヘルム2世は再保障条約を見送ると、同盟国(独・伊・墺)として協商国(英・仏・露)と対立します。

第一次世界大戦では積極的に戦い、無制限潜水艦作戦をとったことでアメリカの参戦を引き起こします。

しかし国民の負担は重く、停戦を求めたキール軍港での水兵反乱を機にドイツ革命が起きヴァイマル憲法の下で共和制に移行、休戦してヴェルサイユ条約により全ての植民地を失い多額の賠償金を課せられます。

賠償金の支払いや、フランス占領地域でのボイコット運動による生産減などで、急激なインフレに陥りました。

シュトレーゼマンがレンテンマルクの発行によりインフレを食い止めたところで世界恐慌に見舞われます。

不安定な国内で力を得たのは、ユダヤ人排斥や大衆宣伝などで国民感情を支配したナチ党のヒトラーでした。

全権委任法を可決させ独裁を可能にし、日本・イタリアとともにファシズム陣営の枢軸国として第二次世界大戦に突入します。

独ソ不可侵条約で初めはソ連と手を組んでいましたが領土争いにより対立、独ソ戦が起きスターリングラードの戦いで大敗、降伏します。

分割統治がなされ、ニュルンベルク国際軍事裁判所では戦争犯罪人の裁判が行われます。

ソ連に支配された東側とその他の西側では溝が深まり、ベルリンでも同じことが起きており、48年にソ連は逃亡経路となっている西ベルリンへの交通を遮断します。(ベルリン封鎖)

西ドイツはドイツ連邦共和国として独立、経済復興を遂げます。

一方東ドイツはドイツ民主共和国として独立、遮断は発展してベルリンの壁を立てるに至ります。

冷戦緩和に伴い相互承認、ベルリンの壁解放の後に西ドイツにより統一ドイツが成立しました。

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